1999/12/14

警告しておきます。暇じゃなければ読むと不快かも。(たぶん) まぁ痴れ者の戯言に付き合ってくださいませ。 最近、思うことが多くて自分の思考能力の限界に戦いを挑んでいる予感がします。恋愛のこと(シモのことともいう)、仕事のこと、そして友人のこと。本当は全てを逃避して、一週間ぐらい山かインドかアフリカかどこぞに旅立ってから、ゆっくりと物事を考えたいとか思うこともあります。 本当に、時々「普通の19歳の少年Aになりたい」と思うことも多々あったりはしますし。少なくともあのときの同級生たちは普通に大学に行っているだろうな・・・とか思っていたりします。それが幸せなのかもしれませんし。 ただ、バカにされてもいいんですが、林原めぐみの「dont be discouraged」って曲の歌詞には、自分も相当考えさせられたり、励まされたりしましたし。 「選んだこの道、たとえ荒れ果てていても、さらにその先は目指していた瞬間」 なんだか本当に行く先悉く荒れ果てていますし、その先が遠いかもしれませんけど、少なくとも自分は自分が選んだ道ですし、そして自分は道を選ぶ権利と義務をこの年で与えられたわけですから、それは非常に人生として喜ばしいことだと思っていますし。 まあ、林原めぐみの歌詞だって小馬鹿にする人もいるでしょうけど、一度考えて見るのもいいかしら、とか思います。批判だけだったらバカでもできますけど、相手を認めるのは難しいって言葉もありますし。批判したほうが文章としては面白くなりますけど。クレーマー? なんか「Breeze」(dont be discouraged)と同質の歌詞かもしらへんが)とか「A House Cat」とか「Refrection」とかが自分の影響受けた歌かもしれませんね。全部「愛」とかじゃなくて「人」がメインの歌詞だったりする気もします・・・。 なんで最近こんな事を突然言い出したか、ってのにはいろいろと要因があるんですが。基本的に言いたいことも我慢して妥協してほとんど言わない性格だったし、それで物事がうまくいけばいいさ、って気持ちもありました。 最近、自分のその堪忍袋(ちょっと変な表現ですけど)を超えてしまう出来事もあったとか、自分の幼さと自分の発言力での事とか、己自身の考え方の甘さとか、いろんなことがありましたので、ってのもありますが…。 最近、特に考えることが多くなってきたのは、やはり自分の親友が19の若さで逝ってしまったことです。 自分は彼と最後に目で話せたし、彼にかけてあげる言葉もいえました。六年間ありがとう、最高だった・・・と。 ただ、彼は本当に満足して逝けたのか、と今も思います。そして、その答えは「否」だと思うんです。何故そう思うか。だってまだ19なんだから。まだ経験していないことも沢山あっただろうし、誰しも最後の瞬間まで逝きたいとは思えないし。 そう、これまで「相手に合わせて」とか「相手のために」とか思って自分の気持ちを押さえ込んできたものがあります。そして、これからも社会に出て生きていくんだったらそうすべき所も多々あるでしょう。しかし、言いたいままそれを抱え込んで逝ってしまうなんて、あまりにも悲しい・・・と思ってしまったんです。 だから、せめてもう少し自分に正直に、少しでもいいから積極的に行動してみよう、とか思っちゃったり、思わなかったり。人生50年の昔とは違います、今や365日×60?80?100?長く生きたとしても36500日。たかが876000時間しか生きられないのですから。そして私は、すでに166440時間も生きているんです。 そしてあと709560時間しかない。しかし、709560時間もある。そう考えてしまったわけなんですよ。 たかが100年よ 流されているだけじゃもったいない 最後まで林原めぐみ@dont be discouragedでした。つまんないだろうけど会話のオチとして。本音ではありますが。 だからといっていきなり割れ物チャレンジとか間違ったのはダ~メダ~メ。 さて、長々とありがとうございました。これをもちまして…って別段当日記は終わりはしませんのであしからず。当然ですがな。]]>

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