2009/07/18
★たびのたびにっき特別編 ”ゲキ★ヤス旅行記II” 第一夜は7月の過去ログに飛ばしました。 登場する列車:特急かもめ・特急ソニック ★たびのたびにっき特別編 ”ゲキ★ヤス旅行記II” 第二夜は7月の過去ログに飛ばしました。 登場する列車:特急ソニック・220DC・特急ゆふいんの森・特急ゆふDX ★たびのたびにっき特別編 ”ゲキ★ヤス旅行記II” 第三夜は昨日の日記にあります。(したのほう) 登場する列車:特急リレーつばめ・SL人吉 ★たびのたびにっき特別編 ”ゲキ★ヤス旅行記II” 第四夜は今日の日記にあります。(したのほう) 登場する列車:いさぶろう/しんぺい・特急はやとの風 ・「俺が欲しいものを全力で作った結果がこれだよ!」痛リボンProject かしんたんが何かたくらんでる!!! ・Intel製SSDが2万5千円割れ どんどん安くなる…10ヶ月で半額か…。この価格であればもう「たっけええええ!!!」という設定ではないような印象を受けてきました、というのをブルーレイドライブの時も言ってたけど結局自分にとっての購入ラインは15,000ラインだったりするんだよなァ 流石に最新のパーツをガパガパ購入する体力は無くて…。 ・日本HP、ネットブック「HP mini 110」を国内販売 ・【本城網彦のネットブック生活研究所】 キュートなネットブック「HP Mini 110」 ・HP Mini 110 ミニノート国内発表、32GB SSDモデル 4万7880円 「キュート」ってHAHAHAとか思ってみたら確かにキュートな感じだった、もえもえきゅん。 ・「痛ネットブック」自作用シートが発売 ・日本HP、デュアルコアCPUを搭載した低価格ノート「dv2」秋モデル ・【西川和久の不定期コラム】 約2倍にパワーアップした「HP Pavilion dv2秋モデル」 ・VESAにマウントできるBlu-ray+液晶一体PCが発売 >この製品はAVERATECブランド(TriGem) 昔ソーテックにOEM提供してたTriGemが。。。 ・IntelとAMDが相次いでCPUの価格改定を実施、数多くのモデルが値下がりへ ・ラトック、WUXGA対応のUSBディスプレイアダプタ ・プラネックス、1台3役の利用が可能な11n小型無線ルータ ・ソニー、裏面CMOS/GPS搭載の小型ハンディカム 回転補正が面白そう。。。 ・キヤノン、手振れ補正を強化したAVCHDカメラ2機種 ・グリーンハウス、実売3万円のフルHDビデオカメラ ・ソニー、32GBのメモリースティックPRO-HGデュオHXを国内発売 ・ソニー、約半分に小型/薄型化したビデオカメラ用DVDライター ・ペガシス、変換ソフト「MovieStyle」をSpurs対応 MovieStyle、実はめちゃんこ使えるソフトでして… ・アップル、不具合修正などを行なったiTunes 8.2.1 ・Yahoo!ジオシティーズの大規模障害、データ消失は免れたと案内 ・1クリックで知らない誰かと完全匿名でチャットを楽しめるWebサービス「ChatPad(チャットパッド)」を試してみた ・見知らぬ誰かと1対1で強制的にチャットをしなければならない背筋も凍るようなサイトが登場 新しい出会いを求めるか拷問と受け取るかは人それぞれなので。 ・ねとらぼ:グーグルの「七夕ロゴ」ができるまで ・サムスンの携帯事業、全セグメントで勝者を目指す ・『イース7』の最新PVが公開、完全になかったことにされた初期の絵師の存在 ・ソニー、PSP版App Storeの存在を認める。ゲーム以外のアプリケーションも配信? ・エディア、PSP用ナビソフト「MAPLUS 3」を発売延期 ・パンツ型メガネ拭き 「100%純正の女児ぱんつじゃねえか!」 ・「こんなんでメガネ拭けるか!!いや拭けるけど人前で出した時点で即通報されかねんわ!!(笑」(EARL.BOXさん) ・中に誰もいませんよ? ついに言葉様の彩色サンプルがお披露目! スポーツバッグの中身が気になって気になって… ・タミヤサーキットのご案内 衛星写真からでも見えるよ、と言われてみてみたらホントにみえた! ・現実から飛び出したようにアニメーションするキュアパッションのポップが出現 in 東京おもちゃショー2009 ・JR諫早駅に「ミニ眼鏡橋」 30分の1、精巧な石造り かわいい…! ・仕事中のストレスを軽減させる5つのシンプルな方法 ・みんなでアトムを目覚めさせようずwwwwwww どーりでものすごい勢いでアトムにエネルギーが注入されていたわけだ…。 ・北朝鮮 「6カ国協議、永遠に終わった」 ・一人で罪をかぶったのに共犯者が面会に来ないから出所後にチクってやったニダ! ・立命館大学などに約束していた韓国学への支援金を取り消したニダ! ・たびのたびにっき特別編 ”ゲキ★ヤス旅行記II” 第四夜 観光列車の旅・後編。 SL人吉をたっぷり楽しんで、再び人吉駅に戻ってきた所から。 キター…ってこれは九州横断特急。コレも観光特急ではあるのですが、今回の目標はこちらではありません。 既にちらっと見えてますね。 そう、今回楽しむのは「いさぶろう・しんぺい」号。 前回のゲキヤス旅行でも大活躍そして大興奮の連続だった観光列車であります。 到着したらバシバシ写真を撮られるいさしん。 SL人吉がすごすぎて印象が薄れそうになりますが、こちらも屈指の人気を誇る観光列車なのですよ。 いさぶろう・しんぺい。 時の逓信大臣である山縣伊三郎、そして当時の鉄道院総裁後藤新平の二人からその名をとられた電車で、特急ではないが指定席が設定されてある観光列車。その内装もまたSL人吉のように、レトロモダンというとても素敵な空間を演出しております。 ただ、今回は増結車両があったみたいでレトロモダンではない普通の車両もあったのですが… ナ、ナイスレトロモダン…? まずはここでスタンプタイム。 そして俺達集合!!! い、いやだってサンデーGXでこんなのあったから!いさぶろう・しんぺいでてきてたから!集っちゃったから! 列車はのんびりと山間をぬけていく。 到着したのはおこば駅。 おこば…おこば………とちょっと考え込んでしまいましたが、まずはのんびりと駅舎を見学。 時期が時期という事もあり、七夕飾りが。 そして再び鉄道へ。 おこば…おこば…やっぱそうだよな、ココか。 コレって明らかに大畑駅だよな、背景。 だから。 俺たちは。 今ふたたび。 そして俺達集合!!! い、いやだってサンデーGXでこんなのあったから!いさぶろう・しんぺいでてきてたから! そして全国から俺たちが集っちゃったから! 大切な事だから2回言いました。 大畑駅出発。 ここからJR九州の観光列車は本気を出してくる。 具体的に言えば見せ場の連続でだまって座席についてるなんてもったいない! まずはいきなりスイッチバック! 運転士さんをおっかけて反対側へ。 さっきやってきた線路が下がっていく…スイッチバックは自分が子供の頃は長崎本線にもあったのでなじみ深かったのですが、気がつけば新長崎本線ができてすっかりなくなっちゃったんですよね…。 ぐるーーーりとまわって山を登るループ線。 これもスイッチバックと同じく、当時の車両では一気に急勾配をかけあがる事ができなかったので編み出された技術ですね。 よーくみると先ほどまで居た線路が見えます。 ここらへんでも線路の真ん中に停車して観光タイムを準備してくれます。 ぐるっとのぼった上の矢岳駅に到着、ここでも観光タイム。 昔ながらの古い駅舎がまた趣があるのですが、ここ矢岳駅の見所は… SL展示館が併設されているのです! 中には資料的なものと… ある意味最大の資料であるSLがそのまま展示されています。 しかも登れるんだわこれが! 最後にお姉さんに、SLとのツーショットをお願いしてパチリ。 それでは出発の時間、次の観光ポイントに向けて! 宮崎-熊本の県境を越える。 ここで矢岳第一トンネルを通過。ここがこの「肥薩線」の工事の難所であり、工事中の事故で多数の方が亡くなる程の難工事だったそうです。そしてそのトンネルの両側の出口には、「天険若夷」(てんけんじゃくい)と「引重致遠」(いんじゅうちえん)という文字が彫ってあります。 Wikipedia:肥薩線>山縣伊三郎と後藤新平のそれぞれの筆による扁額「天険若夷」(てんけんじゃくい)と「引重致遠」(いんじゅうちえん)は、このトンネルの難工事を労るものでもある。なお扁額の意味は、「天険、夷(い)の若(ごと)し(天下の険しい難所を平地のようにした)」・「重きを引きいて遠きに致(ち)す(重い物を引いて遠くへ至ることが出来る)」とのことである。 そしてトンネルを抜けた先で眼下に広がるのは日本三大車窓がやってきます。 ここでも電車は線路の真ん中で停車、ゆっくりと絶景を楽しめます。 今回はあいにくの天気でしたが、それでも雄大な景色は圧巻。 そしてこのタイミングで車内販売くるかー!!! そりゃ買いますともさ。 そしてここから真幸駅に向かってスイッチバックで降りていくのですが… 待ってる、みんなもう待ってるよ!!! まってろよー。 スイッチバック再び、そして列車はゆっくりと駅へ。 やってきたのは真幸駅。真実の幸せとかいてまさきと読みます。 お出迎えが! 真幸駅では地元の皆様が特産品や農産品などの販売を行ってくれます、そういった事情もあり電車がホームに止まると皆一路に駅舎へ。 あ…。 賑わう物販所から少し離れ、駅をぐるりと散策します。 すてないで ネ そして自分は記念入場券を今回も確保。 あとモロコシ。 最後に真幸駅の名物である「幸せの鐘」を鳴らして出発。 最後まで皆さんが手を振ってくれました…また来ます! そして真幸駅を出た列車は終点である吉松駅に到着。 『マスター、これは楽しかったと言わざるをえません!』 …セイバーさん、まだまだ続くんだぜ? 赤い車体のいさぶろう・しんぺい。その隣に滑り込んできたのは真っ黒のボディ。 観光列車3連続の最後を飾るのは、ここ吉松と鹿児島中央を結ぶ観光特急・はやとの風。 全身黒のボディがかっこいい… 外の雨模様がぼちぼち強くなってきたのが気がかりですが…鹿児島中央へ向けて出発しましょう。 と、ここでいきなりの乗車変更予告。 当初の予定では、吉松-(特急はやとの風)→隼人 隼人-(特急きりしま)→霧島神宮という移動でここで解散、九州組は霧島神宮から鹿児島中央経由で北へ 飛行機組は霧島神宮から宮崎空港へ抜けて…という予定だったのですが、このままだと九州組の霧島神宮滞在時間がほとんど無いことが判明、それだったらいっそはやとの風に最後までのっちまうか!という話になったのでした。 あと… すんげえ土砂降りでさあ!!! 大隅横川に到着したのですが、観光する余裕もないほどの土砂降り。 以前来たときは「ぜひ外へー」というアナウンスもあったのですが今回は雨が強いので中からご案内します、という事でいくつかご案内。 そしてものすごくわかりにくいけど大隅横川駅名物・先の大戦中にグラマンの機銃掃射を食らった跡。 未だにその傷跡はしっかり残っております。 タブレットキャッチャーすげー。 それでは今のウチに「特急はやとの風」の車内をご案内。 薩摩の大地を駆け抜けるレトロな観光特急列車の中は、木の温もりで溢れたとても明るい空間。SL人吉・いさぶろう(しんぺい)とそれぞれレトロモダンという雰囲気で表現してきましたがこちらも同じコンセプト、それでありながら全体的な配色の明るさと開放的な窓のおかげで3つの観光特急の中でも飛び抜けてフレッシュな雰囲気を感じさせてくれる列車となっております。 オープンスペースも広く、展望席は足下から天上まで大きく開いた窓から薩摩の大地を楽しむことが出来ます。もちろんこの列車もこれまでの列車と同じ水戸岡鋭治先生のデザインになります。 もう5年ですかー。 そしてここでもやってきたプレートタイム! 馬鹿野郎達みんなで。 『マスター、わたしも、わたしも…』 だめ!!! 列車は南へ、南へ。 …ここで、ワゴンサービスで本日のオヤツをゲット。 たまごたっぷりプリンきた! 2年前は「シロクマ」を食べていたのですが今回はたまごたっぷりプリン。人気商品らしいです… 『・・・・・・・・・。』 …良いヨ、セイバーさんもお食べ。 ごまんえつ!!! そして次の停車駅・嘉例川に到着。 嘉例川駅は霧島温泉のお隣の肥薩線の駅。 …といっても既に写真をご覧になればお分かりとは思いますが、こちらもまた非常にレトロな駅舎で趣を超えすでに風格がある佇まい。 それもそのはず、ここ嘉例川駅が建設されたのは1903年…つまり106年前の駅なのであります。 また、こちらで購入できる「かれい川」という駅弁は現在の駅弁ランキング1位。事前予約していなかったのもありまして今回は購入できませんでしたが、雰囲気のある駅舎と昔ながらの懐かしい駅弁。これを贅沢と言わずして何を贅沢というのか、それを僕は知りません。 発車前、おねいさんをパチリ。 そして嘉例川を発車し次の停車駅は隼人駅…そう、ここでおかp座長・P6さん・かずぴーさんとはお別れになるのです。皆様は隼人駅から東をめざし、我々は鹿児島中央を目指してそのまま線路の上を走ります。 錦江湾が見えてきました… しかし窓の外の美しい桜島をちらりと見た後また我々は情報収集へ。 …そう、鹿児島中央で何かうまいものを!という事になったのです。 この件に関しては次の最終回にて詳しく。 竜ヶ水。1993年に発生した豪雨で土砂崩れなどがあり、それの災害復旧記念碑が設置されております。
竜ヶ水駅 – Wikipedia8.6水害での被災 駅舎および周辺地域は1993年(平成5年)に発生した平成5年8月豪雨で甚大な被害を受けており、その際の乗員乗客脱出劇は、NHKの『プロジェクトX』をはじめ、さまざまなドキュメンタリー番組で取り上げられている。 被災時の有名なエピソードとして、停車中の車両を堤防代わりにして乗客を避難させた乗務員の話がある。被災したのは西鹿児島駅(現:鹿児島中央駅)行きの普通列車で、竜ヶ水駅に停車中に鹿児島駅方面の線路が土砂崩れで通行不能になってしまう。乗務員は国分方面へ引き返そうとするが、いつまでたっても指令室の許可が下りず、交渉中に国分方面の線路も遮断され立ち往生してしまう。このとき土石流の危険を感じた乗務員がとっさの判断で崩れそうな箇所にあえて列車を停車させ、乗客のいない車両を堤防代わりにして乗客を避難させた。この好判断により乗客の多くは土石流発生直前に避難することができたが、乗務員の指示に従わず降車を拒否した乗客3名が大破した車両もろとも犠牲となった。なお当時避難救助活動に従事した乗務員は、その後過労死で亡くなっており、最終的に労災が認定されることとなった。 |